新井市・妙高高原町・妙高村      第18号 
合併協議会だより
■発行:新井市・妙高高原町・妙高村合併協議会
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○妙高市誕生に向けて法律に基づく手続きが完了

 10月26日、3市町村の「廃置分合」及び「市の名称変更」について、官報に告示されました。
 これにより、法律に基づく手続きは完了したことになり、平成17年4月1日に「妙高市」が誕生します。
 
     
 ○総務省告示第八百十七号
   市町村の廃置分合
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、中頸城郡妙高高原町及
び同郡妙高村を廃し、その区域を新井市に編入する旨、新潟県知事から届出があったので、同条第
六項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十七年四月一日からその効力を生ずるものとする。
 平成十六年十月二十六日
            総務大臣 麻生 太郎
  ○総務省告示第八百十八号  
   市の名称変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第三項の規定により、平成十七年四月一日か
ら新潟県新井市の名称を妙高市に変更する旨、同条第六項の規定により、新潟県知事から報告が
あったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 平成十六年十月二十六日
            総務大臣 麻生 太郎
15年度決算などを承認 第8回合併協議会
  11月24日、第8回合併協議会が、妙高高原町妙高高原メッセで開催され、平成15年度合併協議会決算と平成16年度合併協議会補正予算が次の通り承認されました。
■協議題第52号 「平成15年度決算の認定について」 認定
 歳入合計4,700,013円、歳出合計2,678,042円。差引残額2,021,971円として決算が提案され認定されました。
■協議題第53号 「平成16年度補正予算(案)について」  
 合併協議会だより印刷費として348千円の補正予算が提案され承認されました。
4月1日から妙高市
 平成17年4月1日から住所の表示が「妙高市」と変わります。郵便番号、町名・字名等は合併後も変わりません。
地域の歴史を探るB
   シリーズで紹介している地域の歴史と文化。第3回目は、新井市にある鮫ヶ尾城について、探ってみましょう。  
語り継がれる景虎伝説「鮫ヶ尾城」
   

■鮫ヶ尾城

 斐太歴史の里は、斐太遺跡、観音平・天神堂古墳群をはじめ、新井市の歴史的な遺跡が集中しています。その中の一つに戦国時代上杉謙信の前衛基地として大きな役割を担った鮫ヶ尾城跡があります。
 築城年代は不明ですが、戦国時代、上杉謙信が武田信玄の進出に対し、信濃方面への備えとして築き、春日山城の前衛として重きをなしたもので、山頂一帯及び本丸から南北へ延びる尾根に沿って、大小数十の曲輪跡(くるわあと)や空堀(からぼり)・土塁(どるい)・井戸などが残されています。
 この城跡は昭和39年に県指定史跡となっていて、斐太県民休養地の管理棟から約20分で山頂(標高183m)の本丸跡につきます。山頂からは高田平野を眼下に日本海・米山・東頸城の山々を一望する大絶景が広がり、きれいに芝が敷かれ、東屋などが整備されていいます。

■御館の乱
 上杉謙信は生涯を独身で過ごしたので実子がなく、景勝と景虎を養子としていましたが、どちらを後継者とするかを明らかにしないまま49才で急死しました。
 天正6年(1578)3月、謙信急逝後、景勝と景虎が、上杉家の相続権をめぐって争ったのが『御館の乱』です。これより越後の豪族将士は、景虎方と景勝方に分かれて交戦し、越後は大いに乱れました。鮫ヶ尾城は景勝の猛攻を受けて、景虎が自決した場としても伝えられています。
■上杉三郎景虎の生い立ち
 上杉三郎景虎は、小田原城主、北条氏康の七男として天文23年(1554)に生まれ、幼名を三郎氏秀といいました。
 氏秀は当初武田信玄の養子となりましたが、元亀元年(1570)4月、上杉謙信の人質として春日山城へ送られてきました。謙信は氏秀を養子として迎え、そのうえ自分の幼名である『景虎(かげとら)』を与えました。これより、上杉三郎景虎と呼ばれるようになりました。

■相模・甲斐への波紋

 御館の乱は北条氏や武田氏などの戦国大名も参入し、越後国内から隣国にまで及びました。小田原城主の北条氏政は景虎の兄であり、甲斐の武田勝頼の妻は妹であったため、両者は同盟関係にありました。氏政の要請により勝頼は両者の争いをやめさせるため信越国境に出陣し、新井市の小出雲に陣を張りました。この地を『陣場』と呼ぶのは、この時、勝頼が景虎支援に30,000の大軍を率いて陣を張ったこと由来しています。その後和解が成立し、勝頼は帰国の途につきましたが、和解も十数日で破れ、再び両者の争いが始まりました。
■景虎自刃
  3月17日、景勝軍の総攻撃で、御館はついに陥落し、景虎は、兄北条氏政の小田原城への逃亡を計画し、御館を脱出しました。しかし、追手が多く、ようやく十数キロはなれた味方の鮫ヶ尾城へたどり着いたときは、鮫ヶ尾城主の堀江宗親の心は既に変わっていて、景勝に内通していました。3月24日、堀江氏の謀反と景勝方の攻撃に耐えきれず、景虎は鮫ヶ尾城中で自刃して果てました。享年26歳という若さでした。
■米倉跡の焼き米
この戦いで鮫ヶ尾城は業火にさらされ、全山が炎と化したといわれています。米倉跡には、当時の戦渦を物語る真っ黒に炭化した"焼き米"が、今も土中にたくさん残っています。
※鮫ヶ尾城跡は新潟県指定の文化財となっているため、土を掘り起こす、焼き米を採取するなどの行為は禁止されています。
   
   
   
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